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かつて極東地域が安定した時代があった【韓国崩壊6の2】

誅韓論

第6章 見えてきた日本の選択! 極東の原状回復戦略!

さて、「中韓の一体化が進み、やがては朝鮮半島全体が中国の地方と化していく」事態に対する「二つ目」の疑問。

それは、「韓国が中国に吸収されていく事態を放置すべきでない。中国を一方的に利し、結局は脅威を増大させるだけではないか」という懸念である。

当然の疑問である。これについては慎重に判断する必要がある。

韓国が崩壊する代わりに、中国がより強大化するのは事実であろう。どこかにプラスが生じれば、別のどこかにマイナスが生じるものだ。

要は、「総合的に見てメリットとデメリットのどちらが大きいか」である。

以下から、これについて考えていこう。

一般に、このような事態をひどく恐れているのが、日本の古い戦略家たちである。だから、それを防ぐために「韓国を支援しろ」と提言して止まない。

だが、私はまったく逆の結論に達した。つまり、「中国が朝鮮半島を併呑すれば、むしろ極東地域が安定する」というわけだ。

これは従来の常識とは反対だ。実は、近代に重要な示唆に富む事例があるのだ。だから私は「逆に中国に飲み込ませろ」と提言する。

その例を挙げよう。1884年12月、金玉均(キム・オッキュン)の開化党が日本の力を借りてクーデターを決行し、王宮を占領した。だが、閔妃の要請を受けた袁世凱の清軍が鎮圧に乗り出し、三日天下で終わってしまう(甲申事変)。

この時期の朝鮮内外は激動と言ってよいが、それでもこの事件から1894年2月に巨大な農民反乱(甲午農民戦争又は東学党の乱)が勃発するまでの約9年間、極東情勢は比較的平穏な時代が続いた。

いったい、なぜなのか。当時の状況を詳しく分析してみよう。

甲申事変以降、李朝は清の保護国となる。日清両軍の撤兵を約束した天津条約後、朝鮮駐屯軍司令から「朝鮮総理交渉通商事宜」に昇進した袁世凱が事実上の植民地総督として以後、朝鮮の軍事外交を取り仕切ったからである。

対して、近代化の優等生である日本は日増しに力をつけていた。清は衰退にあったため、両者の国力差は縮む一方だった。

一方で、ちょうどこの時期、極東のプレイヤーとして新規参入を果たしてきたのが帝政ロシアである。背景には、朝鮮半島を東進の最終目的地とするロシアと、あまりに横暴な清の影響力を削ぎたい李朝側との利害の一致があった。

つまり、李朝自らロシアを積極的に呼び込んだ

だが、宗主国の清がこれを警戒する。日英もまた素早くけん制に動いた。当時のロシアは輸送力にも難があり、持てる国力をフルに発揮できずにいた。

つまり、この時期、偶然にも大国間の力の均衡が保たれていたのだ。それが奇妙に安定した時代を極東地域にもたらした理由であった。その均衡を演出したものこそ、清(朝鮮込み)日本(バックに英)ロシアによる「三つ巴」の構造だったのである。

これは誰かが意図したわけではなく、偶然に成立したものだ。だが、結果として激動の近代にあっても「三国鼎立状態」という安定をもたらした事実は興味深い。

韓国崩壊「誅韓論」目次http://korea-collapse.com/page-94

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